16/10/11:火曜日 後の祭りの後 |
2016ぼんぼり祭りが、天候に恵まれつつ終了した。 今回、つい、口をついてでてしまった事のせいで 相方様に菜子で出て頂くことになってしまった。 前日まで体調不良っぽかったために 「無理しなくていいのよ?」 と、念を押していたのですが、何故か本人がその気になってしまい 「よし、耐久6時間に挑戦!」という流れで・・・・・。 で、まずは衣装に関しての合わせとズレ対策を確認。 あの二部式服、実は動いていると裾がどうしてもずれてきてしまい だらしなく、不格好に見えてしまうため それをなんとかしないと、菜子が可愛そう。ということもあり あれやこれやと、無い知恵を絞り考えました。 おかげで今回の6時間の間、ずれること無く なんとか面目を保つことができました。 もっとも、今回のこれには色々とあったわけで。 まずは、当人の体調。 即撤退も視野に入れ 場合によっては、マスクをとらせることも。 そして、バスに乗る事を断られたら、きぐるみ参加自体、無し。 これをまずは考えつつ バスの運転手の方に訊いてみた所、あえなくOKを頂いてしまい 参加可能になってしまいました。 個人的には、ここで断られないかな?とか思ってましたが 参加可能になってしまったのなら、あとは腹をくくるだけ。 気を入れることにしました。 あと、有り難いことに、ここできぐるみ関係者に出会い 暫くの護衛任務を一任。(丸投げともいう) 後にいわく「菜子が階段降りてきた時の一般客の反応がw」 とか。 約得ですね(を そしてバスで移動開始。 |
16/09/29:木曜日 離れて。 |
デジタルカメラが一般的なものになった。 そして、気がついたら、きぐるみという趣味が 思った以上にメジャー化してきた。 それらはやはり、先人たちが地道に築き上げてきた部分と マスクの量産化、そして、ネット世界のさらなる進化の賜物だと思う。 昔話になるが 当時はプロバイダに接続して モデムの速度と画像のサイズとを秤にかけながら 電話代と戦っていた時代からすると 大きくて、きれいなデジタル画像が 電車の中でも見れてしまうというこの20年という時間に 少々怖さを感じるものではある。 では、私はこの20年に進化してきたのか?と問われれば 「いいえ」と、否定の言葉を発さなければならない なぜなら、所詮は自己表現のための道具。 それの形が変わっただけのこと。 なので、「やり方」はあまり変わってないわけなのです。 もっと違う何かをしないと どれも変わらないままになってしまう。 難しいものです。 。 |
16/04/07:木曜日 あの時と今と |
時代と言われればそれまでだけど フィルムがデジカメになったように それに付随するものも進化する。 当時、AFはまだまだだったり ストロボの調光能力や、ワイヤレスの簡単さってのも (大分古いな、話として) 進化するわけだ。 当時、お金も技術もなくて、ただ撮って 本屋で立ち読みして、ため息を漏らしつつ(笑 フィルムを買って、色んな雑誌を買って。 もっとも、それが今のスタイルを生んだわけだけど それが結果として良かったのか悪かったのかはさておき ストロボを複数持つのは夢だったし、それがワイヤレスなんて 夢のまた夢な世界だった。 外光オートを頼ったり 頭で距離とGNと絞りを計算したり 色々と試したこともあった。 が、結果として導きだされたものは 「複数の光源がないと望むものは撮れない」 という、わかりやすいもので しかもそれに強弱をつけないと、望むものは出来上がらない。 というものだった。 さて、貧乏な私。 結局は「なまじストロボがあるから頼ってしまう」 とか 「延長ケーブル使っても、良くて60センチ」 とか いろいろと試してはみたがどうにも出来ず 「そんな、ライティングに拘れるのは、そういう撮影の時だけだ。 オープンフィールドでそれが可能なときは少ないだろうから 自然光メインでいいや。 止めるのも、動きを見せるのも、色んな表現があるのだから。」 と考えて、ストロボを、殆ど使わない「癖」をつけてしまいました。 そして今に至るわけですが。 が。 . |
15/12/04:木曜日 今だから言えること |
今更だけど 私は週末に、長崎に向かう。 今回は、独りで向かい、向こうで、素敵な友人に逢うことになる。 2005年だったかな?きぐるみのオフということで、九州に行った。 その時にも書いたのだけど 私は小学生の頃、一度九州は長崎に行ったことがあった。 もちろん、これも先に書いた通り、良く覚えてはいない。 そして、ついこの間(だと思うが) 富山の友人と長崎に行った。 自衛艦見学に当たってしまったからだ。 あまり乗り気ではなかったのだけど、誘われていった。 それ自体は楽しかったから、良かったといえば良かったのだけど 今回は、列車の間、ずっと独りだ。 多分、とても楽しく、とても寂しい物になるに違いない。 そして私は、それを望んでいる。 あの時私は、彼女だけを見ていた。 だから、他の事も、どうやってそこに辿り着いたかも そこに何が在ったかも、その時の気温も日差しも やはりろくに覚えていない。 記憶に残るのは、霞がかった、薄らぼやけた世界と それと対照をなすかのような温かい彼女の微笑み。 私の手を掴んで離さない あの、暖かくやわらかな感触。 また、逢いたい。 私は、出逢えるのだろうか、彼女に。 また、あの優しい声で私の名前を 囁く様に呼んでくれるのだろうか。 今度、逢えたら。 私は君になんて声をかければ良いのだろう。 ずいぶん長い時間が掛かってしまったね。 と、笑えばいいのだろうか。 君は今の私を赦してくれるのだろうか。 いや、赦してくれなくてもいい。 今はただ、もう一度逢いたい。 . |
15/11/16:月曜日 色。 |
色が赤いとか、黄色いとか言われてしまいますが、皆さん いかがお過ごしでしょうか? 個人的に、色んな人を撮らせていただいては居ますが 結局は、それを通して、自分の思ってるものを 絵にしているだけだという意識は未だ拭えませんし それ自体は、全くの事実でしかないとも思います で、じゃぁなんでそんなに赤かったり、そういう色味なの? 目が悪いの?それとも頭?? みたいな話を考えてみて じゃぁ、と思い浮かんだのが やはりフィルムなんだなぁ。と思う次第。 デジカメってのは、自由に色温度を変更できるわけです 日向とか、日陰とか、そういうホワイトバランスってのなんですが リバーサルフィルムってな、基本的にホワイトバランスって一定なのですよね (ネガに関しては、現像時になんとでもなるのですが) そう、日中基準で。 だから、蛍光灯を撮ると緑になり 裸電球を撮ると、赤くなるわけです。 多分、私の知ってる「写真」ってのは、それが原点にあるわけで だから、色がそんな感じになってるのではないかと思うわけです。 で。まぁ、蛍光灯の色味に関しては なんとか自力で補正できるようにはなりました。 が、赤み。 これに関しては、肌タイの色、風味、マスクの自然っぽさみたいなのを 追っかけたうえで、環境光とかそういう色んな物を混ぜあわせて その結果が、私の色味になってるわけです それを気にいってくれる人もいれば 「赤いんだよ、またかよ!」みたいな人もいるわけで それはまぁ、趣味の話ですから、仕方ないなぁと思うのです。 その上で撮影させて頂いてる方や 見てくださってる方々に対して 色々と気に入ってもらえるものを提示できたらなぁ。とか思う次第で。 . |
15/08/24:月曜日 過去のお話と現在のお話 |
実は、その昔、富山に住んでいた時 写真のお仕事しておりました。 名目としてはカメラマンだったのですが (まぁ、学校の運動会撮ったり、コマーシャル用に モデルさん撮ったり 色んなモノ撮ったりしてました) とか言いつつも、実のところ、小間使い的なこともあったり 早い時は朝4時からお仕事。 夜は9時位までとかあったり 順調に心と体を壊していってました。 ここでは、本当にいろんな技術を手にすることが出来たのですが まぁ、当時ですからデジカメはほんとに少しだけ出現した程度。 私の愛機が SAMURAI 1300DG(京セラ)だという辺りで ご理解頂ければ。 で、仕事をしてて一番驚いたのが ネガからの印刷時トリミング。 撮影に関して当時(今も変わりませんが) ファインダー内が全てだったのです。 フィルムはそのままが作品のキャンバスであり 後から手を加えるとか、考えたこともなかったのですが 写真家(写真屋)として「失敗が許されない」いじょう 安全マージンとでも言えばいいのか 被写体を少し小さく撮って、印刷時に拡大する。 という手法を日常的に使っておりました。 もっとも、私はそれをとても嫌がって トリミングなしでもきっちり決まるように撮り続けたわけですが まぁ、ショックではありました。 もちろん、その手段を否定なんてしませんし出来ません。 何より実際に「安全」だったわけで(苦笑 で。このオチは何かといいますと 撮影の後、フォトショや現像ソフトで処理ってのは、やっぱり大事で 表現の幅を広げてくれますよね。って。 私も、それを使いこなした上で 色々と気に入ってもらえるものを提示できたらなぁ。とか思う次第で。 . |
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